東京の戦争 / 吉村昭(Amazon・楽天ブックス)、読了。
身内の戦死や相次ぐ病死、空襲の焼け野原で目撃した大量の死骸など、昭和2年生まれの吉村昭に限らず、この世代の人々には死ぬという現象や死人という存在が日常のできごとやったんよな。
そういう現実から隔離されてしまってる現代と、どちらが幸せと言える状態なんやろう。凶悪殺人の件数は減り続けてるけど、その動機はどんどん複雑怪奇になってるらしいし。
二十歳ごろの吉村昭が、道ばたに流れてくるラジオ放送で東京裁判の判決を聞いてる場面。
たとえ勝者とは言え、多くの都市を無差別爆撃し原子爆弾まで投下しながら、敗者である日本の戦争責任を一方的に追及して軍人、政治家を死刑に処すのは矛盾している、と思った。日本の戦後補償は終わってるらしい。やのに、いまだにあれこれ掘り返しては責められる。これを毅然と拒否できんのも、愛国心=戦争に繋がる独善的で悪い思想、のような考えがはびこってるのも、戦勝国のおこなった後処理が見事に働いてるからなんやろな。
結局、勝つしかないんかね。不謹慎は重々承知やが、そう思いたくもなる。
東京で暮らしてた吉村昭は、よく聞く話の通り、戦前戦後の食糧難をもろに体験したようす。コメを得るため秋田まで行ったりとか。昭和16年ごろ高知のド田舎の百姓に生まれたウチの両親は、食い物で困った記憶はないらしい。
