holds the door open
カエルのドアストッパー(楽天)、ちょっと欲しいかも。
ドアと接触する斜面にはゴムシートでも貼ったほうが良さそうやな。
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カエルのドアストッパー(楽天)、ちょっと欲しいかも。
ドアと接触する斜面にはゴムシートでも貼ったほうが良さそうやな。
東京の戦争 / 吉村昭(Amazon・楽天ブックス)、読了。
身内の戦死や相次ぐ病死、空襲の焼け野原で目撃した大量の死骸など、昭和2年生まれの吉村昭に限らず、この世代の人々には死ぬという現象や死人という存在が日常のできごとやったんよな。
そういう現実から隔離されてしまってる現代と、どちらが幸せと言える状態なんやろう。凶悪殺人の件数は減り続けてるけど、その動機はどんどん複雑怪奇になってるらしいし。
二十歳ごろの吉村昭が、道ばたに流れてくるラジオ放送で東京裁判の判決を聞いてる場面。
たとえ勝者とは言え、多くの都市を無差別爆撃し原子爆弾まで投下しながら、敗者である日本の戦争責任を一方的に追及して軍人、政治家を死刑に処すのは矛盾している、と思った。日本の戦後補償は終わってるらしい。やのに、いまだにあれこれ掘り返しては責められる。これを毅然と拒否できんのも、愛国心=戦争に繋がる独善的で悪い思想、のような考えがはびこってるのも、戦勝国のおこなった後処理が見事に働いてるからなんやろな。
結局、勝つしかないんかね。不謹慎は重々承知やが、そう思いたくもなる。
弱音を吐くというのは、つまり、
這い上がろうと助けを請うてるわけで、
その余力すらなくなると、何も言わない。
童謡「ずいずいずっころばし」の歌詞に茶壺って出てくるけど、
よく考えてみれば、そんなもの見たことがない。
茶道とか農家とか、お茶に携わる人々のあいだでは、
今でも当たり前に見かける物なんやろか。
小学生の頃から、水泳の授業の前には必ずお腹が痛くなってた。「精神的なもんやから大丈夫」って言われるのが一番つらかった。ほんなもんわかっとるわい、そう願ってるのは本人なんじゃ。やのにコントロールできんから焦って困ってるわけで。
泳ぎが嫌いってわけじゃないんよな。夏休みには毎日のように鏡川で泳いで炭みたいになってたし。プールという閉鎖された場所が面白くなくて嫌いやったんかもしれん。流れんし、大きな石を抱いて潜ることもできんし、枝のロープから飛び込むターザンごっこもできんし。
気持ちが体調にあらわれやすい性質は、死ぬるまで続くんやろなあ。それをワガママや怠け病などと見なされても、何の反論もできん。


