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大好きなポーズ人形を描いてみるものの、懐かしさが全く出てこん。違うんよ、こうじゃないんよのう……。
小学生の頃からとにかく読書が苦手で、読書感想文という宿題が恐怖で面倒で、書店に新潮文庫の100冊が平積みされだすと憂鬱な気分になった(調べるに、この100冊キャンペーンが始まったのは76年らしいから、ちょうど俺が小1の頃から、なんやな)。
そういうわけで漱石も鴎外も芥川もロクに読まず今まで過ごしてきたんやけど、嫁の本棚で見つけ、この歳になって初めて「人間失格」を読んでみた。なるほど、この小説が多く長く支持される理由がわかった気がする。
共感できる人が多いんやろのう。しかし、実際に大庭葉蔵と似た人が多いってわけじゃなくて、バーナム効果のある文を書く能力、読者に「それ俺! 俺こそまさに同じ!」と思い込ませる文章力がずば抜けてるんかな、とも。
絵を描くのと同じく、感情や思考を紙に文章で固定し具象化させるという作業には、やはり技術がいるんやのう。ラクガキはラクガキやし、雑文は雑文じゃ。確かな技術の上に成り立ってるもんとは、間違いなく異なる。
何を今更当たり前のことをって? 俺、そういう今更という経験多すぎるんよなあ。ぼやーと生きてるから、知らんこと気付いてないことが多すぎる。アホウじゃ。赤瀬川原平の「老人力」を見習って、アホウも「阿呆力」として涵養しようか。……阿呆か、としか読めんな。
で、とても共感できたところ。
ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔辞なんかを読んでいるのではないでしょうか。
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。