中村へ帰省
年明け二日目、岡山の朝は小雨がぱらぱら。もう少ししたら中村へ。前回も今回も年明けの帰省やな。
四国の道路情報を見るに、今んところ瀬戸内側は雨で速度規制が出てるみたい。雨天時はワイパー要らずの高知道を少しだけ便利に感じる……ような気もする。
年明け二日目、岡山の朝は小雨がぱらぱら。もう少ししたら中村へ。前回も今回も年明けの帰省やな。
四国の道路情報を見るに、今んところ瀬戸内側は雨で速度規制が出てるみたい。雨天時はワイパー要らずの高知道を少しだけ便利に感じる……ような気もする。
南国サービスエリアで芋天を買うたあと、高知インターで久々に降りて opposite さんくへ。すぐ見つけれてよかった。不在は知ってたので年賀状と到着の証拠ポラ写真を投函。高知インター、親が瀬戸に住んでた数年前まではよく降りてたけど、中村へ隠居した今は通過するだけ。
opposite さんくを後にし、何年ぶりかな、高知市街地へ。あ〜、高知駅付近に高架。なんか違和感あるな。はりまや橋、西武が閉鎖したのは数年前に来て知ってたけど、今回、まさか建物ごと消えてるとは思ってなかったので唖然として、ついびっくりの大声が出た。上町五丁目あたりの闇市みたいなアーケードもなくなってたみたいで、ちょっと寂しかったな。こっちはもっと昔から消滅してたんかもしれん。
鏡川橋を渡り、そのまま伊野インターへ乗ろうかと思ったけど、どうせ何もかも久々なので、母校前を通過するべく朝倉駅方面へ。WILL の建物がなくなってて、またびっくり。朝倉駅南東に隣接する、本屋等が集まった小さな建物もがらんどうになってるのが見えた。昔々は “ブックマート書苑” があったとこ。学校帰りにはほぼ毎日寄ってたな。朝倉駅の北側には大きな低層マンションみたいなもんも建ってた。なんなんやろ。
高速道路には乗らず、春野も土佐市も須崎も下の道をぶらぶら。まったく渋滞なく問題なし。七子峠手前で軽四と小型車が事故してて反対車線が大渋滞してた。可哀想に……。佐賀のあたりで急に眠くなってきて、20分ほど仮眠。
5時過ぎ、中村の実家着。晩飯はヤマイモかけご飯とタタキと刺身と、好きなもんフルコースで腹一杯。
もう眠い。
実家、FOMA やっぱりまだ圏外じゃ。au に変更しよかなぁ。
正月の土佐湾。遠くにぽつぽつ浮かんでるのは、海鳥でも、もちろんペンギンでもない。

姉と甥を乗せ、2時過ぎ中村を出た。

高知の南国市は公式サイトの URL でもわかるように “なんこくし” と読むんやけど、ここのサービスエリアは “なんごく” と濁るんやな。ま、わかりやすいわな。……ってことに今頃気付いた。何度立ち寄ったか数えきれんのに。
いろいろ古い写真を整理中。これは1993年3月5日とある。ひとつ前の写真を撮った2週間前に、高知へ帰省してたらしい。
朝倉〜伊野の西バイパス建設のため、土地を収用しますよ(しましたよ?)という告知看板かな。場所はおそらくこのへん、むかし住んでた社宅のすぐ近所。後ろに少し見える枯れ草は土讃線じゃなかろうか。

このときはまだ社宅も健在やったんやったっけな。それとも、もう取り壊されて更地になってたんやったっけな。記憶が曖昧になったわ。
はっきりしてるのは、俺が小・中・高校時代を過ごした朝倉の社宅は跡形もなく、いまは西バイパスの下に眠ってるということ。
古い写真を見返してると、懐かしくて切なくて息苦しくなるな。
イトーくんちからのリンクで読むに、東洋町の件について高知と中村で反対署名活動をするらしい。これのためだけに橋を渡って帰省するのは(経済的に)しんどいので、とりあえず署名ファクスだけでもしちょこうかにゃ。
おらーどっちかと言われれば保守系の政治的思想を持ってると思う。なんにでも反対する野党根性は好きじゃない。けど、こと原子力・放射能関係となると、もう反射的にイヤなんじゃ。ひたすら「怖い」んじゃ。
とか言いながら、近隣のキチガイ国家が核武装して「怖い」から、日本も対抗して欲しい、核武装してほしいとも思う。矛盾してるけど正直な気持ち。
しかしなあ、原子力って、よう扱いきらんもんを、手に負えんもんを、どうしてそこまでして使おうとするんやろう。ゼニのため? 科学者の自己満足? でも、なんぼゼニ持ってても、なんぼ科学を発達させても、地球が放射能まみれになったら意味ないやんか。
隠し場所を両手で覆いながら「どこを調べてもええが、ここだけは開けたらアカンぞ」って言う花紀京のギャグがあった。絶対安全ですよと言いつつ田舎にばかり原子力施設ができる。笑えんギャグやわ。
古い写真の整理が、だいぶ片付いてきた。
紙焼きの裏には1992年とある。季節を覚えてないけど、田んぼから察するに3月頃やろか。朝倉の社宅がまだ立ち退きせず現役やった頃、帰省して屋上から撮ったもの。社宅は、それはそれは古い鉄筋4階建てやった。

左には、既に立ち退いて更地になりつつある民家跡らしきものが見える。真ん中いちばん奥に向かって、今はバイパスが伸びてってるんじゃなかろうか。右上隅っこに見えてるのは公務員用の第二住宅。
昨日の夕方、母から電話があった。高知新聞に「祖父の硫黄島戦闘体験記」というホームページのことが載ってたので見てみよとのこと。さっそく検索して探し当てたものの、分量が多くてまだ読めてない。
わずかな生還者が高知県にもおったとは。
最近カメラのキタムラ各店舗の更新情報を RSS でチェックしてるんやけど、全国に店舗があるから各地域のローカルネタがけっこう面白い。そして店舗数が多いから更新が頻繁でにぎやか。
今日の米子のにはキタムラの懐かしいキャラクターが出てた。たしかに昔はこんなんやったわ。
岡山駅前店には操山公園里山センターというネタが載ってた。近所にこんな良さそうな場所があるとは知らんかった。こんど行ってみよか。って、え、いちいち予約せないかんの?
中村店、タンポポのネタが微笑ましい。中村は具同のあたりが栄えてしもて、このあたりは寂れてしもた気がするな。
キタムラの総本山て、今も堺町店なんやろか。80年代マイコンブームの頃は VICOM というビルも併設されてて、そこで mz-1500 を買うてもろたんやった。
そういや、カメラのキタムラが高知発祥の会社やってこと、どれぐらい知られてるんかな。
あ、ついでに、中四国で頑張ってるジーンズファクトリーが高知の店やってことも知ってる人どれぐらいおるんかしらん。特に、岡山はジーンズの街やし、地元企業と思ってる岡山人は多そうな気がする。
カフェ・フォト・マガジンの2号を立ち読みしてたら、巻末のほうに高知の店が紹介されてた。所持金が怪しかったので(……)雑誌は買わず、名前だけ覚えて立ち去る。arew..., arew..., arew...,
帰って検索すると……あったあった。ブログもある。へえ〜、高知には面白い場所ができちゅうがやねえ。岡山にも似たようなジャンルの店ってあるんかしらん。知らんだけかな。しかしまー、さすがに沢マンみたいなのは、ないろうなあ。
洞ヶ島町っていう地名にまったく記憶がなくて、調べてみたら、附小の近く・お城の北・高知駅の西。なるほど、小中高と朝倉で過ごした俺にゃー全く縁のない土地やもんにゃ。
おお、米田橋で検索してヒットしたこのページ最上部の写真を見てくらくらした。この橋をくぐって左前方を向いたら我が家が見え……よったがよにゃあ、西バイパスができるまでは。
夜、この銀杏&地蔵の前を一人で通るのが怖かった。
高知/観光 高知の面白いページという、文字通り面白いサイトがある。この中の「高知の昔の写真」てページに興奮してしもた。宗安寺橋とか富士書房とか旭駅とか、あー、懐かしい。さすがに白黒写真時代のは知らんけど。
同じく「高知市あちこち」というページの左下にある「昭和53年朝倉付近空から」という写真、たまらん。ウチが高松から高知へ引越した翌年か。もちろん社宅も写ってる。あれ? 朝倉小学校が鉄筋校舎に見えるな。転校当時は木造やったはずやが。
ちなみに同じ写真かと思って国土交通省サイトを探したら、この航空写真は昭和50年度撮影とある。別モンなんやなー。
U2 の The Unforgettable Fire を聴きながら仕事してたら、中学時代を思い出してしもた。
あー、帰りたいにゃあ。海を見たいにゃあ。瀬戸内のごじゃごじゃした海やのうて、水平線を見たい。最後に龍馬像を見たのはいつやったろう。桂浜。
ふるさとネタで気になる高規格道路事業/中村宿毛道路のページを見てて、
清流「四万十川」を有する高知県西南部初の自動車専用道路です。という紹介文に笑ってしもた。道路とぜんぜん関係ないやん。清流「四万十川」を有するっていう文言は、すっかり枕詞よなあ。それとも、道路建設による環境破壊っていうイメージを打ち消したかったんかな。
四万十川——地元民は渡川(わたりがわ)と呼ぶ——で泳いで育った父親は、今は汚い汚いと嘆く。ちなみに俺は鏡川で泳いで育った。
そういや鏡川には「龍馬も泳いだ」っていう枕詞があるな。
突然「祖谷のォ〜かずら〜ば〜ぁしゃ〜」のコマーシャルを思い出し、検索したら、そうそう「魚井の御膳みそ」よ。YouTube 探したけど、よう見つけんかった。もういっぺん見てみたいわ。今の気分はもちろん、
「帰りたいなァ……」
今年もまた、この日が来た。1988(昭和63)年の今日、ひとつ下の後輩らが上海で列車事故に巻き込まれた。俺が高校2年の春休みのことやった。

当時の絵日記が出てきた。文章だけ拾って載せてみようと思う。
あ……、高知負けたか、ちくしょう。高校野球、岡山の関西(かんぜい)高校と高知高校が対戦と聞いて少し気になってたんやが。
岡山県民・岡山市民となって20年近く、人生の半分以上を岡山で過ごしてきてるのに、気持ちは今もやっぱり高知県人。高知を応援してしまうわ。
高知高校って、地元では「高知学園高校」から略して「がくえん」て呼んでたはず。
先月かな、「土佐電鉄が走る街 今昔(Amazon)」という本を買うてみた。まいど積ん読に近くて全部を子細に読めてるわけじゃないけど、へえと思った箇所がひとつ。
鏡川橋南詰め〜鴨部〜曙町〜高知大学〜朝倉駅前までの、子供ごころにも「電車専用にしたほうがええんじゃないか」と思ってたぐらいに狭い道(地図を見るに県道274号とのこと)。
あの道、電車軌道が真ん中を走らず北側に寄ってる理由は、兵隊(かつて高知大学にあった)が行軍するときに邪魔やから、らしい。その名残ですよと。

あ、もひとつ。昔の咥内坂は勾配が電車にはキツ過ぎたから、下をくぐる電車用のトンネルがあったらしい。まったく知らんかった。
金高堂とか富士書房とか大きめの本屋なら置いてるかな、この本。そういや昔、上町あたりやったっけ、電車通り沿いに日新館(……うろ覚え)ていう本屋があった。本好きの叔父さんに連れて行かれた覚えがある。今もあるんかしらん。
まいどポータルZより、土佐犬の顔がこわいというネタ。
高知県人の俺が初めて闘犬の試合を見たのは、岡山の大学を卒業する前やったか、友達数人で高知へ遊びに行ったときやった。ネタと同じ場所、桂浜の闘犬センターで。観光モノって地元民ほど疎かったりするわね。
ただ、力士か柔道部顧問か、みたいなおっさんがその巨体をグイグイ引っ張られながら闘犬を散歩させてるシーンは、小学生の頃から当たり前に見てたな。これは観光客に知られにくい生活風景じゃなかろか。
ちなみに、もともと「土佐犬」と言えば柴犬ぐらいな日本犬のことやったんやけど、今じゃ土佐闘犬を指す言葉に取って代わられて、元来の土佐犬は四国犬と名を変えてるらしい。土佐闘犬はブルドッグ等々が配され作られた種。詳しくは検索を。
先月見つけた昭和53年頃の航空写真に、朝倉に住んでたときの社宅が写ってたので、現在の地図と重ねてみた。社宅の下半分あたりを道路に食べられてしもたのがわかる。
→ Flash Movie(約330KB・エンドレス)
友達のブログがある、と姉からメールがあった。まー、懐かしい人が。
この人の弟が小学校んとき俺と同級生で、つまり姉同士・弟同士それぞれ同い年の友達やった。しかしずっとあだ名で呼んでたから、本名知らんわ俺。
今は東京で弾き語りしてるらしい。唄坊主っていうか、女性やから唄比丘尼?
三ヶ月も前に知って以来なかなか読めてなかった「祖父の硫黄島戦闘体験記」を、こないだようやく読み終えた。嗚呼よくまあこれほど奇跡が続いて生き残れたもんやなと感心するほかない。
最終ページには、帰国後治療のため岡山の国立病院へ送られ、その裏山に登ってみたという記述がある。裏山……? 昭和21年当時、どこにあったんやろうと調べると、伊福町らしい。となると、京山か。
汽車で高知へ帰り、朝倉駅から兵舎へ行ったとある。これは今の高知大学やな。風景がなんとなく目に浮かぶ。しかしまあ朝倉のあんなとこにも米軍が進駐してきちょったとは。
中村の、どこの御方なんやろう。昭和19年の2月末に善通寺から出征したらしいから、俺の祖父とは、すれ違いもしてないんかな。
祖父は昭和20年の、確か今ごろの季節、ルソン島で戦死したらしい。墓碑にそう刻まれてある。遺骨はない。
鰹のたたきにマヨネーズかけるのは子供の頃から普通にやってたな。大人の真似じゃなくて、勝手に。あ〜、食べたい食べたい。
高校んときの同級生Tさんからびっくりな情報が寄せられてびっくりした。なんとまあ、同じ学年の竹村志麻さんが KUTV でアナウンサーをしゆうとのこと。さっそく見に行ったら、お〜、ほんまにおるおるおる。たまーるか、びっくり。
特技なし!? 嘘を言うたらいかん。モダンかクラシックか知らんけんど、バレエをやりよったはず。いつも背筋ピンと伸びた美人やった。長身で、髪も長くて、そして賢かった。
あ、公式ページには歳を書いちゃあせんにゃあ。同い年ってことバラしてごめん。
ハァー、やっぱり高知へいにとうなってくる……。
いつのまにか我が故郷が Google の航空写真で詳細まで閲覧できるようになってた。ピンポイントで我が家を指すのは気が引けるので、最寄りの小学校を。夏休みには、よくこのプールで泳いだもんやった。プールがだめな日は、後川(うしろがわ)で。
もうミツクチで間抜け面のキャラクターは要らんちや。みんなもう飽きちゅうろう。変わり兜っていうネタが面白いだけに、陳腐なキャラクターが残念。
小学生のころ同じクラスに「うしお」ちゃんという名の女子がおった。乱暴、いや、かなり元気な女の子やったから、アホな俺の頭に浮かぶのは牛男という文字やった。
いま考えると、潮って、高知っぽい、ええ名前かもしれん。
アイスクリームをアイスと略す表現に、いまだに慣れれん。
高知を離れて 20 年近いというのに、
高知人の俺にとってアイスクリームの略称は「ケーキ」なんよなあ。
ソーダのアイスキャンデーも、カップに入ったバニラのも、
そしてアイスクリンも、ぜんぶまとめてケーキ。
あ、1×1=1の公式サイトがある。びっくり。
あまりの懐かしさに涙でそうになった。mz-1500 で遊んだんやった。
ワンダーハウス、結局最後まで解けれんかったような。
ビルディングホッパーは屋上まで行けたことがあったっけ。
中学生の頃、うちの目の前、鏡川沿いにタスクフォーツ高知が越してきた。
今はどうなったろう。どこへ行ったろう。
パスワードに、例えば
414imokenpigaumaize4
みたいなのを使ってたことがあった。
よいよ芋けんぴがうまいぜよ、という土佐弁から。
英単語じゃなくて日本語を混ぜると安全度が高まると聞くけど、
方言を混ぜるとさらに高まる、ような気がしたので。
ざっと洗車おわり。

ほんなら、いぬろうかねゃ。
ざっと洗車して、岡山を出ようとしたら大雨が来た。がっくり 。途中、大豊あたりでも降ったりやんだり。南国インターで降りたのって何年ぶりやったろう。伊野インターが開通するまでは、いつもここで降りよった。
岡豊の「歩屋」にて、ようやくお会いできました opposite さんご夫婦! これが最初で最後のパンダ写真てのが、我ながら申し訳ないやら寂しいやら。ドライターコイズ
やったっけ、この色、めちゃくちゃ目に楽しい色やわ。やっぱりパンダのキャラクターに合う。

そしてびっくりしたのが aaaaaki303 さんと猛犬(失礼)アルちゃんの登場。和ませてくれて本当にありがとうございます。

豆腐あるいは白桃を刻んだものにも見えるけどプリン。トロトロで濃い味で、ほっぺたの内側がしびれる甘さ。正式品名わすれた、スンマセン。

久しぶりにネイティブ土佐弁の人らと喋れて嬉しかった。うまく喋れゆうかどうか、実は不安やった。もともと幡多弁まじりやし。でもやっぱり心地のえいもんでした。帰りたいにゃあ
。
いやー、とにかく楽しい時間でした。ごちそうにまでなってしもて、ほんまに恐縮です。
ダイヤルアップ重い。
午前中、墓参り。小雨に降られた。防犯灯にカエル。

近所へ挨拶して、4時ちょうど中村出発。朝のカエルは、まだ同じ場所におった。
道中ずっと降ったり止んだり。高知市を通過したのは7時ぐらいやったかな。雨は瀬戸内側に出てきてから倉敷あたりまでが一番激しかった。で、9時過ぎ岡山着。窪川で「ゆういんぐ四万十」に寄ったりしながらぶらぶら帰るので、やっぱり5時間ぐらいかかるわ。
カエルのアップを見たい人は続きを。

きのう実家の畑で。
きのう実家の畑で。

NATURA BLACK F1.9 + NATURA 1600
実家の納屋の壁に胡麻。いろんな作物が自給自足されてて、田舎があるのはええことやなとは思う。でも、百姓の孫である俺は畑仕事を全く知らん。ようせん。
いずれ受け継いだとしても、田畑山林すべて持ち腐れになってしまいそうで途方に暮れる。田舎暮らしに憧れる都会人が腹を立てそうなことよ。

NATURA BLACK F1.9 + NATURA 1600
昨日、近所のマルナカで発見し購入。いつから仕入れられてたんやろう。まあまあかな。耳がしっとり柔らかい。カリカリのほうが好み。永野旭堂のを食べたいけど贅沢は言えれん。

やなせたかし爺さん、なんでもありやな。こないだの帰省で窪川のあたりやったか、“あさごはんまん” とかいうキャラクターの看板を見た。
はや1週間経つ。高知への往路、立川(たぢかわ)パーキングエリアにて。やっぱり真ん中に停めれてないパンダ。

NATURA BLACK F1.9 + NATURA 1600
高知から中村へ汽車で帰省するとき、佐川を過ぎて少し行ったとこやったろうか、トンネルを抜けて次のトンネルへ入るわずかな間に見える、山肌にへばりつくように建てられた真っ白い工場があった。
なんど見ても幻っぽく感じる工場やった。とつぜん思い出した光景やが、あれ、もういっぺん見てみたいな。南風にも久しく乗ってないし。
淡い記憶で地図を探してみた。あー、この工場って気がするな。
岡山へ来て約 20 年。
高知出身の人に出会うこと自体が珍しいのに、
今日会うた人は、朝倉小学校卒業やった。
年齢が8つ違うから共通の記憶は少ないみたいやけど、
しかしまー希有なこと。
くいしんぼ如月という弁当&コンビニチェーンの店が高知にある。というても、俺が高知に住みよった頃に利用した記憶が薄い。平成に入ってからの店やろか。
ウィキペディアによると、本社は若松町とある。社名・店舗名といい経営内容といい住所といい、んー、まさか友達の ?
坂本龍馬の誕生日と命日が奇しくも同じ11月15日である、というのは熱狂的ファンじゃない俺でも知ってたけど、それは太陰暦であって、今の太陽暦で言えば、
生:1836年1月3日
没:1867年12月10日
であるらしい。ウィキペディアで見て知った。つまり、ちょうど今日。140年前の今日の晩、何者かに斬殺されたわけか。言論を刀で封じるってのは、やっぱり野蛮やわ。いかんわ。
太陰暦って、30年で1ヶ月もズレがあるんやな。
土佐弁
「(雨が)降りゆう」
「(店が)できゆう」
「(店が)できちゅう」
すべて抑揚が異なる
岡山弁
「(雨が)降りょーる」
「(店が)できょーる」
「(店が)できとる」
すべて抑揚が同じ
特に意味ございません。なんとなく思い浮かんだので、書き記してみただけ。
夕食後テレビを眺めてたら、日本全国の各県出身者が勢揃いして御国自慢、みたいな番組を放送してた。
西川きよしが大阪の席に座ってたのが悲しかった。育ちは完全に大阪やろけど、出身は高知やににゃあ。まあ、松江出身の MEGUMI も岡山の席に座ってたし、しゃあないか。
高知の席には白田ナントカっていう女優さん(?)が大人し〜く座ってた。全く知らん人でした。広末とは言わんから、せめて島崎和歌子ぐらい呼べばもっと存在感あったろうににゃあ。
自転車関係をぶらぶら検索してて見つけたブログ、自転車カフェ。高知市の御方らしい。おしゃれなブログですわ。
この年末年始にゃ帰省できんかったけど、父親からは「山の境界線を教えるけん、もんてこい(戻ってこい)」と言われてるので、山の草木が枯れてるうちに帰らんといかん。春になって生い茂ると、山に入るのがめんどくさい。
山の境界線を教わるのは、これで何度目やろう。「あの木からこの木を結んだ線からコッチがウチの山じゃ」と教わるけど、なんべん言われてもよう覚えん。こんなことで後を継げるんやろか。
俺が高校か大学ぐらいの頃の夏休み、自転車で四万十川ツーリング中らしい人がウチの近辺に迷い込んで来たことがあったな。道を間違えたらしい。ウチは後川沿い。河口ギリギリで四万十川に合流するだけで、あくまでも支流です。
ああ、中村に住み着く決心は、まだなかなかできんのう。高知市ならなんとか。
ニフティ、ポータルZの「ちょっと見てきて」が面白い。
もちろん岡山と高知のばかり、ときどき覗いてる。
新見の洞窟で行方不明になった高知大学生の、捜索が打ち切られたらしい。事故の内容があまりにも怖くて——閉所恐怖症なので、記事を追う勇気がない——詳しくは知らんけど、その人の住所が朝倉丙というのに驚いた。あのへんは学生アパートが多いし学生寮もあるし、県外あるいは高知市外の人なんかもしれんが。
とにもかくにも可哀想に 。合掌。
今日と明日、センター試験が行われるらしい。
俺らは共通一次最後の世代やった。先生方が「今年落ちたら来年から試験制度が変わって面倒なき、絶対うかれよ」と言いよったのを思い出す。
岡山大学での二次試験は覚えてるんやけど、高知大学で受けたはずの共通一次の風景はさっぱり浮かんで来ん。高知大学という場所が、あまりに日常的やったからやろか。
小・中・高校ずっと高知大学の中が通学路やった。そのせいで、高知大学に行きたいという気持ちが全くなかった。違う大学を見てみたかった。できたばかりの瀬戸大橋も渡りたかったし。
無事サクラガサイテ岡山に来れたのが平成元年4月。あー、二十年。ん 合格電報って、今もあるんかしらん? 高知大学は「クジラツレタ」やったっけ。
市役所の仮庁舎にパチンコ屋かよ。そりゃニュースにもならあ。この駅前のパチンコ屋がつえちょったがは知ららった。汽車で帰らんなったし、買い物も具同のほうへ行くし、あのへんを通ることが、ざまに減ったもんにゃあ。
昔は終点の中村で南風を降りたら、バスの時間まで「さつき」でうろうろするがが愉しみやったもんよにゃあ。バスは大用とか竹屋敷行きやっつろか。忘れっしもた。
以上、わざとらしい&拙い幡多弁にて。
高知駅にできる大屋根の愛称を募集しゆう。
大屋根ちなんぜとリンク先の PDF を見てたまげた。まー、びっくりするちや。
こんどは南風で帰ろうかにゃー。
嫁がカングーを運転して、県立図書館へ。ここに地下駐車場があるとは知らんかった。ほんま立派な施設やなあ。
借りてた2冊のうち1冊は「銃剣は茄子の支えになって / 小松弘愛」という本。前にも書いたことがあるけど、高校時代の担任の詩集。ネットで見つけて買おうとしたけど、値段に躊躇して。小松先生すみません……。

昭和が終わったあの瞬間、先生が何を感じてたのか、初めて知った。教職員に対して、ああいう指令が出てたのも、もちろん初めて知った。共通一次試験を目前に控えてた当時、学校に起きてた雰囲気の微妙な変化なんて、気づいてもなかった。
天皇陛下。昭和ヒトケタ世代の人々にはそういう思いが強いんかもしれん。テレビの向こうの皇居のガラスの向こうで手を振ってる老人、というイメージしか俺は持ってなかったな。
高知駅の大屋根は「くじらドーム」という愛称に決まったそうな。
高知は相変わらず龍馬と鯨が好きやし、
岡山は桃・マスカット・ままかりが好きやし、
昔はこういうベタベタなネーミングに反感を持ってたけど、
歳とったせいかねえ、わかりやすくてええやんか、と思うようになった。
電車に乗る頻度がとても低く、たま〜に使うと、
音もなくスーッと動き出すあの様子に、未来を感じてしまう。
おーさすがやー、デンシャやー、と嬉しくなってしまう。
日々当たり前に電車を利用してる人には、意味わからんかもしれん。
嫁が会社でチーズケーキをもらって来た。コミベーカリーという、何故か高知のお店の。そして何故かクリスマスカラー。

おいしかった。古いお店らしいけど、ぜんぜん知らんかった。知寄町あたりって、まったく縁のない場所やったな。
いま朝4時過ぎ。
ついさっきからサイレンが鳴り始めた。
あ、やんだ。と思ったらまた鳴り始めた。
そんな断続が、いま4回目。
朝倉の米田に住んでた頃は、大雨が降ると、
鏡川のダム放流サイレンがよく鳴ってたけど、
岡山に来てサイレンを聞くのは初めてのような気がする。
で、なんのサイレンなんやろう。小雨は降ってるけど。
旭川のダムなんて、かなり上流よねえ……?
黙祷。
高知東生の変な関西言葉を耳にするたび、ああ俺のがもあんな風に聞こえゆうがや、もうやめよう、ふつうに土佐弁を喋ろう、と思う。……のに、やっぱりなかなかよう喋らんがよにゃ。
岡山弁ではアホなことばかり言うバイリンガルの友達が「英語で喋ってる間は、冗談を言わん真面目な人格になっとるな」と言うてた。ジョークの語彙がないわけじゃなくて、気持ちが切り替わるらしい。言語と感情は直結したところがあるんだろな。わかるわ。
おらー英語は喋れんけど、ニセ関西言葉・京阪式アクセントの土佐弁・東京式アクセントの幡多弁を使い分けるとき、それぞれ感情の居場所が全然違う。心理的な壁が高くなればなるほど、よそいき=ニセ関西言葉が強くなる。幡多弁は家族間の言葉。
故郷の言葉にゃ、気持ちを緩ませるもんがあるにかーらん。
ま、当たり前か。
先生や後輩らの死から、あの国は、なんにも学んでないのか。
虚しくなる。
1枚だけ写真を見て、気分が悪く暗くなってきて、やめた。
あのときの当事者じゃなかったとは言え、
列車事故という単語にも写真にも、いまだに、やっぱり、拒否反応がある。
Yahoo!地域情報の中に、徒歩生活便利度チェックという、たぶん期間限定のコーナーがある。半径 1,500m 圏内にどれぐらいの便利施設があるかというもの。
今の住所を入れると、4240 点やった。コンビニ 12 コは想像できるけど、スーパーが 20 店? まったく思い浮かばん。病院は大小合わせたらそれぐらいあるやろな。

半径 2,000m まで広げると図書館や宝くじ売り場が入るかな。「岡山駅前店」なんてのも入りそう。今もいちおう「駅前」なんやけど、昭和の無人駅みたいな雰囲気のやつやもんな。最近導入された自動改札機の違和感には笑ってしもたし。
ペットボトルのお酒があるらしい。
読み進めると、あ、菊水。高知。誇らしいような恥ずかしいような、微妙な気持ちになるな。まあ、ワンカップ片手よりゃマシか。しかし老若男女ふつうの顔して酒ボトル片手に街をうろつく図って、あんまり想像しとうないぞにゃ……。俺が下戸やき、やろか。
ずいぶん昔、まだ高知に慣れてない嫁を乗せて中村から足摺に向かってるとき、午前中やというのに道の真ん中をふらふら歩く酔っぱらいの爺さんがおって、なんかちょっと恥ずかしかった。
こないだ広島で催されたフラワーフェスティバルというイベントを、広島市民歴1ヶ月の姉家族が見に行ってたとのこと。よさこい踊りがあったそうな。そこで見かけた「元祖」故郷の集団に、あー……イヤんなって、早々に退散したらしい。なんとなく想像できたわ。
昭和52年から64年まで小中高を高知で過ごしたけども、新しもの好きなガキんちょの俺ですら、うるさく派手になっていくよさこい踊りを丸ごと受け入れる気にはなれんかった。音が激しくなってったのは、バンドブームも一因なんかしらん。
調べるに、よさこいソーランの第1回は平成4年。ソーランと合体したのは、既に変質しきったよさこい踊りやったんやろな。で、それが全国へ伝播した、わけか。