ハピータウンの本屋で、美味しそうな色とりどりの表紙にやられて久々に ku:nel 購入。表紙のお菓子は “オーボンヴュータン” という店のフルーツゼリー(pâte de fruit)とのこと。ちなみにオータンというケーキは出てませんでした。

オーボンヴュータン = AU BON VIEUX TEMPS、えーと、英語にすると to the beautiful old times かな。古き佳き時代へ、みたいな感じやろか。検索したら、このお店、というかシェフは無茶くちゃ有名な御方らしい。
VOGUE bambini を買い始めて十年以上経つろうか。買い続けては溜まって困って処分し、買うては処分し、を繰り返してきてる。

可愛いから、つい買うてしまうんよなあ。
古本屋の主人になるというのは子供の頃から少し憧れてはおったけど、やっぱり大変そうやのう。なぜか水木しげるネタが多くて笑った。
ゲンセンカンの主人にはあんまり憧れんな。
読売新聞の “書店員のオススメ読書日記”、けっこう面白い。
ここを読んだあと、つい amazon を覗いてしまうんよなあ……。図書館へ行けと嫁から諭される。
オンラインで伊藤理佐の連載を読めるなんて。インターネットって、驚きが絶えんなあ。
割烹着姿しか思い出せれん。
書店でなんとなく手にするサイコセラピー本のほとんど全てが女性向けな気がするのは、気がするだけに、気のせい? 男は男らしく、そんなもの読むなって?
女になりたいのは、みつおだけじゃないと思うんよ。きっと奥田民生はそれに気付いてるんやろう。関係ないけど、みつおと言えばコピーロボットを思い出す。ついでに「みきおとミキオ」も。
真面目じゃない。思考に色がついて、流れて溢れて、空っぽ。真っ白じゃない。黒でもない。
こうの史代の新刊 “街角花だより”(楽天)が出てたので購入。まだ全部は読めてないけど、あいかわらず淡々とした、この人らしい展開やわ。
帯に惹かれ、吉村昭の「歴史の影絵(amazon)」という文庫本を買うてみた。以下、帯を引用。
私は、世界各国の潜水艦事故について調べたことがある。沈没した潜水艦を引き揚げた時、そこには凄惨な情景が艦内にみられるのが常だという。……ピストルを乱射したり、ハンマーで殴り合いをした形跡がそこにある。……これについて、その根拠らしきものにもっと踏み込んだ文章があるんかと期待したけど、残念ながらそれはなかった。「漂流(amazon
しかし、日本の潜水艦には、不思議なことだがそのような現象はみられない。伊号第三十三潜水艦の前部兵員室の場合も、水兵たちの遺体はそれぞれ自らのベッドに横たわっていた。……
驚くべきことである。日本人は、世界の人種の中で特異な人種なのではないか、とさえ思う。
引き揚げた潜水艦内部を撮影する人物の場面で、「閃光電球」という単語が出てきた。そんときは単純にフラッシュを漢字で書き表しただけかと思ってたけど、検索するに(例えばココ)、そうじゃなくて、昔の「使い捨てフラッシュ」らしい。古い映画なんぞで見かける、ボンッて煙を吐きながら光るアレなんかな。
QUIET VILLAGE には “ちびっこ広告図案帳”(amazon)が2冊ともあった。欲しいんよなーこれ。高いんよなー、これ……。
数週間前から、吉村昭の作を何冊か連続で読書中。いまは「零式戦闘機(Amazon)」を半分過ぎぐらいまで読んだところ。
試験的に導入された零戦が支那事変で大活躍したあと大東亜戦争が始まって数ヶ月、南方でも大陸でも快進撃中、向かうところ敵無し、まさに破竹の勢い、というあたり。

このあと戦況が悪化していくとわかってるから、読み進めるのがどうにもつらくてストップしてしもた。嗚呼〜。
……なにかのはずみで日本が戦争に勝ってたら、今ごろどんな世の中になってるんやろう。近代化は進んでたろうけど、思想も物資もこれほどアメリカに染まった暮しじゃなかったかもしれん。
吉村昭の、こんどは「破獄(Amazon)」という作を読み始めたところ。戦前戦後を通じて4度も脱獄したという人物の話らしい。
破獄、読了。巧みな心理作戦にも驚かされるけど、結局、人並みはずれた腕力・体力ってのも無視できん要素なんよなあ。それがなかったら突破できん。
進駐軍の「民主的」に対する恣意的な解釈には苦笑するしかなかった。
中身の写真に惹かれて “スイーツ・ノスタルジー(楽天ブックス)” 購入。懐かしいお菓子を手作りするためのレシピ集やが、さて、しかし、おらーよう作りません。嫁にまかせた。
ちなみに、ノスタルジー(nostalgie)はフランス語らしい。英語ではノスタルジア(nostalgia)やから、本のタイトルは英仏混在ってことになる。
ここ数年流行中のスイーツ(sweet)=甘味全般を指すフランス語をよう見つけんかった。gâtueu, pâtisserie, confiserie, bonbons, sucreries 等々いろいろ出てきた。お菓子の国だけに、細分化されてるんかしらん。
あ、ここによると、sweets と呼ぶのはイギリスで、アメリカでは dessert とのこと。デザートじゃ、女性誌が改めて飛びつく単語にゃなれんわなあ。
しかし和風スイーツって呼び方にゃ笑えるな。旅館を和風ホテルって呼んでる感じ。
高熱隧道(Amazon)、読了。
んー、鉄筋コンクリートの宿舎を580メートル先まで吹っ飛ばしたという泡(ホウ)雪崩には度肝を抜かれたけど、そこ以外の部分は少し退屈な感じもしたな、正直なところ。
めちゃくちゃ失礼なのを承知で、自らの阿呆を承知で書くけど、トンネル掘削という作業があまりにも単調やからかもしれん。160度の灼熱ってのも、あまりに熱過ぎてピンとこん。ほんまかいな〜と疑ってしまう気持ちを、最後まで消せれんかった。

人物設定はフィクションらしい。そらそうかもしれん。「設計通り開通させることが人夫の命より大事」という土木技術者の願望、「高い賃金」に目がくらんでる人夫たち、それぞれの欲求をめちゃくちゃストレートに描いてるし、ラストは不気味やし、これ全部ほんまやとしたら関係者からクレーム来そう。
そういや、数百年に一度なはずの泡雪崩が2回も立て続けに発生したってのは史実なんやろか。これもフィクション部分なんかしら。
昭和2年生まれの吉村昭は、去年7月に亡くなった。戦争を東京で体験した御方らしい。その随筆も読んでみたい。関係ないけど、水木しげるってほんま長生きやなあ。南方から生還した人の強さは、ハンパやないらしい。
よみうりの「書店員のオススメ読書日記」より、これはかなり重そうやなあ。でも恐いもの見たさで読んでみたい気もする。
新潮文庫みたいに、本のてっぺん部分——書籍用語で「天」とか「あたま」などと呼ぶらしい——がガタガタになってるのは、どういう意味があるんやろう。なにか特殊な断裁方法なんやろか。なにやら古めかしい味を感じて好きなんやけど、不思議。手元にある文春やら講談社やらの文庫本は、どれもキレイに断裁されてる。
不思議と言えば、なんであのサイズのを「文庫」本と呼ぶんやろか。どこかの有名な文庫に収蔵されてた判型が元になってたりするんかしらん。
戦艦武蔵(Amazon)を読み終えた。哀しくて悔しくて虚しくてどうしようもない。ぼーっと抜け殻みたいになってしまう。
阿呆みたいにヒト・モノ・カネを投入し何年もかけて世界一の巨大戦艦を造ったのに、出来上がったころ時流は空母と航空機での闘いに移行し、さらに燃料を馬鹿食いするから迂闊に動き回れず、基地に停泊しっぱなしで訓練の繰り返し。いざ参戦するも、飛行機らに何度も何度も何度も何度も何度も何度も猛襲され、沈没。泣けてくる。
戦争やから当たり前なんやけど、なにもそこまで執拗に攻撃せんでもええやんかアメリカ、お前らなんか大っ嫌いじゃアメリカ、とガキみたいに大声で泣き喚きちらしながらバタバタ暴れたい気分になったわ。
物語の7割ほどは三菱重工長崎造船所での建造工程を描いてるんやけども、結末がわかってるだけに、激しい苦労の連続を乗り越えて行く様子を読み進めるのは辛くてしかたなかった。「零式戦闘機」を読んだときと似てる。ま、大東亜戦争に関しては、どの戦記をよんでも同じか……。
吉村昭の「戦史の証言者たち(Amazon)」を読んだ。昭和40年〜48年頃に取材した対談テープを起こしたもので、戦艦武蔵の進水担当者や、山本五十六長官機が撃墜されたときの護衛機パイロットなど、生の体験談をいろいろ知ることができる。
あとがきで筆者は「証言者が激減したため、昭和48年頃の『深海の使者』を最後に戦史小説をやめた」と書いてあった。戦後28年の時点で既に減ってしまってたんやな。それから倍以上が経過し、今年で戦後62年。
憲法9条さえ守れば戦争が起きんと信じてる人々が平和ボケなんか、それとも、憲法9条を変えたからって戦争に直結する訳じゃあるまいと楽観視してる俺こそが平和を享受しすぎた阿呆なんか。
にこにこ笑って楽しく過ごしたいとは思ってるよ。争いごとは好きじゃない。痛いのも、痛がらせるのも好きじゃない。
インドカレー伝、おもしろそう。値段がこれの半分なら買うんやけどな。こういうのこそ図書館へ行って借りるもんなんかね。そういう習慣が全くないので、妙に敷居が高い。
そういや、高校でも大学でも図書館というもんを利用した記憶がない。本や本屋は大好きなんやけど。借りるという行為=所有欲を阻むもの、と感じてるんかもしれん。
確かにこれは視線を浴びると思うけど、ヒーローとはちょっとちゃうような……。骨24本て、多すぎんか。番傘みたいやわ。
吉村昭の「事物はじまりの物語(Amazon)」によると、洋傘=蝙蝠傘は幕末頃から使われ始め、明治14年の新聞には「日本では洋傘がすっかり主流になり、和傘は英国や清国等でファション小物として使われる輸出品となっている」旨の記事が出てたらしい。
わずか二十年ほどで、日本人は和傘を捨て去ってしもたんやな。ついでに、同書には、番傘という名前の由来は商家などに常備された和傘に壹・貳・參……と番号が振られてたから、とあった。
ぜんぜん関係ないけど、岡山には日笠という名字が多いような気がする。このページには濁音で載ってるけど、知り合いは濁らず「ひかさ」君やったな。
ちなみに、傘はさすやつで、笠はかぶる(菅笠みたいな)ものらしい。
いつ買うたんか忘れた。内容も忘れた。ジャケ買い。いや、本の場合はなんて言うんやろう。「装丁買い」では想定外になってしまう。

Amazon へアフィリエイトリンクしとこ。
豆本。
おもわず買うてしもた、「あかいじどうしゃ よんまるさん」という絵本。今月号の「こどものとも」より。

何年も後に俺が「しろいじどうしゃ ななまるさん」を描いたら、やっぱパクりやわなあ……。
相変わらず吉村昭を読み続ける日々。「空白の戦記」「総員起シ」「海軍乙事件」を読み終えた。どれも短編集で、計15編あったせいで、なにがなにやらわからんなってる部分もあるな。思い出せる範囲で、少しだけ感想を。
昨日は早く寝るぞなんて書いときながら、つい吉村昭の「遠い日の戦争(Amazon)」を読み出してしまい、結局明け方まで起きてしもた。内容のせいか、かなり物語風に描かれてるけど、実話に基づくものらしい。
印象に残った文章を少し引用。
中小都市への焼夷攻撃に加えて、市民の殺傷のみを目的に新型爆弾まで投下したアメリカ軍の行為は、理解の範囲を越えたものであった。その後、伝えられる新型爆弾による広島市の被害状況に、琢也は、アメリカ軍がすでに日本人を人間の集団として認めていないことを感じた。建築物はすべて消滅し、市民の大半は瞬間的に飛散し焼死したという。それは、野鼠の群を一時に焼殺する駆除方法にも等しいものに思えた。有色人種を意図的に蔑んでるわけじゃなくて、それ以前に、無意識に、そもそも人間と思ってない白人が多かった、という内容の文が載ってた「アーロン収容所(Amazon
裁判の本質は、法律の忠実な履行によって成立するもので、判決は厳正な最終結果であるはずだが、戦争犯罪裁判は国際情勢に著しい影響をうけ、その折々の判決にも軽重の差が余りにも大きく、しかも決定した刑も短期間のうちに減刑されている。それは、戦争犯罪裁判に、その基礎となるべき法律というものが存在せず、裁く者たちの気ままな意思によって判決が下されたことをしめしている。俘虜を斬首した主人公「清原琢也」は終身刑の判決を受け、のちに有期刑に減らされた。東京裁判が始まった頃は俘虜を平手打ちしただけで絞首刑になった者もおったのに、朝鮮戦争が始まり、日本を敵扱いするより友好国にしといたほうがアメリカに都合がよいとなると、急に刑罰が軽くなったらしい。
むちゃくちゃや。
こないだから、「墜落の夏 / 吉岡忍(Amazon)」という本を読んでるところ。本屋で吉村昭の著書の隣にあったから、というごく単純な理由で買うてみた。もうすぐ読み終わる。
この事故をもっと思い出してみたくなったので、前いっぺん読んだことのある「墜落遺体 / 飯塚訓(Amazon)」を買い直した。身元確認班長として現場に携わった元警官によって、1998年に出版された本。ちなみに冒頭のはノンフィクション作家が事故の翌年に出したもの。
日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落して、もうすぐ22年か。高校1年の夏休み、一人帰省した中村の古いテレビでニュースを見てた。暑かった記憶がぼんやり残ってる。
生存者の川上慶子さんは、俺より2つ3つ年下やった。ついこないだ行った大社町の人やったはず。今も元気にされてるんやろか。全く無関係ながら気にかかる。
大勢の人がいちどきに亡くなると、遺族の数も半端じゃなく多い。遺族のあいだでつまらん確執が生じたりもする。事故さえなければ……と第三者の俺でも悔しく悲しくなってくる。
この数年後に我が母校を襲った事故のことも、もちろん思い出してしまう。

丸善が Amazon と組むらしい。
丸善のネットショップそのものは随分前からあった。俺は2000年にアカウントを取得した。妙に使いにくくて放置してるうちに Amazon を知り、丸善を完全に忘れ去ってた(いま見たら、相変わらず、というか一層使いにくそうな雰囲気が)。そういう人は他にも多かったんかもしれん。
紀伊国屋のネットショップは丸善より後発で、当時は丸善より使いにくかったような気がする。でも、今は全国の実店舗からも在庫を調べてくれるし各店舗からの通販もできるし、便利なので、最近も何度か使った。
しかしまー、やっぱり自由に立ち読みできんのがネット書店の致命的な短所やなあ。こればっかりはどうにもなるまい。まあ、どうにもなってくれんでかまわんが。立ち読みは実店舗での楽しみやし。
こないだからボツボツ読書中の「国の壊れる音を聴け / 古森義久」という本。Amazon でも楽天ブックスでも入手可。

半ばまで読んだところで、印象に残ってるところ。
日本の防衛を真剣に考える側には、「タカ派」だとか「右翼」だとか、場合によっては「軍国主義者」というレッテルが貼られる。国家の国家としての要件を国際的な現実や常識を基準にして論じることにさえ、「超国家主義」とか「戦前への危険な復帰」というような悪魔化の呼称が与えられるのだ。なにが悲しいって、「国家の国家としての要件」や「国際的な現実や常識」の定義が、いわゆる右と左の人らでは全く違うんやろなぁという点。やから、話の噛み合うはずがない。どちらも国を良くしたいと思ってるのは確かなんやろに。なんらかの利益があって、明確に売国したい人らは別として。
地球上から兵器という兵器が消えてなくなってくれれば、どんなに嬉しいことやろう。「わるいひと」が1人もおらんようになれば「わるいこと」は起きんし、家や車や自転車に鍵をつけて財産や身の安全を守る必要もない。警察や警備保障の人らは職を探さないかんようになるが。
著者のコラムを見つけた。
日本を誇りに思うし、これからも思わせてほしい。
イオン倉敷の喜久屋書店にて、旅の絵本を新旧2冊購入。古いのが西村繁男の「やこうれっしゃ(Amazon)」で、新しいのが手前の「れっしゃのたび(Amazon
)」、工藤ノリコ作。

奥の「やこうれっしゃ」は文字の一切ない、本当に絵の本。上野から冬の金沢へ帰省する一家が主人公、かな。それ以外にもいろんな人々が描かれてて楽しい。
赤ちゃんをおぶったお母さんの姿・スキーというレジャー・手動改札・どこでも喫煙・天井の扇風機・もちろん携帯電話のあるわけがない、1980年って、こんなに“古き日本”て感じやったけな〜とひたすら懐かしくなる内容やった。そういやラジカセは描かれてるけど、ウォークマンらしきものは見えんな。
こないだクレド4階の紀伊国屋で見つけて買おうと思ってたんやけど、5階の紀伊国屋で別のを立ち読みしてるうちにいきなり消灯、驚いて腕時計を見ると閉店時刻。買いそびれたので、Amazon で購入した。閉店十分ぐらい前には “蛍の光” とか流れんかったっけ……?

まだはじめの方だけしか読めてないけど、たいへん面白い。買うて正解。あのヘルマン・ツァップ氏が序文で
日本を訪れた時、筆で日本の文字を書いてみないかと友人達にすすめられたことがあります。しかし、猿真似にしかならないのでお断りしました。もちろん何か書くことはできたでしょうが、日本の一つ一つの文字の背景にある精神や伝統を理解せずに書いたのではただの死んだ字になるからです。と書いてたのが印象深い。逆もまた真なりという主旨のことを続けて書いてある。
しかしまー、日本の書体作家が作る文字は、アルファベットに数字に記号に、ひらがな・カタカナ・何千個もの漢字等々。気が遠くなる数よ。
さらに、俺らエンドユーザは「もっと太い・細いウェイトのが欲しい」なんてわがままなことをさらっと言う。TVチャンピオンで根気強さ大会があったら、日本の書体作家は優勝間違いなしやわ。
ぷッくんたたたぽうぽ
急にこのフレーズが頭に浮かび、内田百閒の随筆のどこかで読んだはず……と何冊か探しまわったけど、よう見つけん。諦めてネットで検索すると、あっという間に見つかった。ネットって便利ねえ。
調べるに大瑠璃鳥という話。それが収録されてたもので、俺が持ってたのは旺文社文庫の凸凹道か。引越のときにでも売ってしもたかな。もう手元にない。また読みたくなってきた。
あ、内田百閒の最後の文字は、Mac OS 9 あたりでは表示されてないかもしれん。門構えで、中は月。
先週の金曜(20日)にイラストレーター丹地陽子さんのブログを見て即注文してた直筆イラスト&サイン入りの画集が、今日届いた。

メッセージ・フロム・チェコアートって本の表紙に、カバヤのカバガラスみたいなのがおる。どっちが先なんやろう。まあ、偶然か。
南の島に雪が降る(Amazon)読了。軽快な文章で、あっという間に読めてしもた。
こんなに粋で賢くて優しい人がおるのに、なんでアホウもおるんやろう。粋で賢くて優しい人ばっかりやと、しかし、歴史や物語も産まれてこんのだろか。やから、アホウがおるかぎり、やっぱり戦争はなくならんのか。
Amazon の書評によると、話に出てくる篠原軍曹という怪僧は小林よしのりの祖父らしい。そういや、戦争論か何かでこの劇のことが描かれてたなと思い出した。
マノクワリという地名が最後までマクワウリに見えてしかたなかった。アホウやのう俺やっぱり。
自宅で被爆した広島逓信病院の院長が書いた「ヒロシマ日記」という本を、こないだ読み終えた。著者の "蜂谷" という姓を見てオヤと思ったが、その通り、岡山出身の人やった。
印象に残った箇所は数えきれんが、少し引用してみる。
八月十一日より
ところが、痛快なニュースが府中方面から入ってきた。あれと同じ爆弾が日本にもあったのだ。あまりひどいので今まで使わずに隠してあったのだ。敵が使ったからこちらも使う。帝国海軍特別攻撃隊は特殊爆弾をもってアメリカ本土を攻撃せり、未だ帰還せざるもの二機、と大本営の発表があったという。六発の渡洋爆撃隊が出て行ったに違いない。アメリカの西海岸は大変なことだ。やっとるぜえ、シスコやサンチェゴ、ローサンゼルス、カリホルニヤ、西海岸は処置なしだ。海軍の強襲、爆弾抱えて飛び込むのだから成功は間違いなしだ。広島以上にやられているに違いない。この話をきいて病人一同愁眉を開いた。私も溜飲が下った感じだ。病室の空気が俄かに明かるくなった。皆大喜びだ。怪我のひどい者ほど敵愾心が強い。向うがヒットを打てばこちらもヒットで返す。そんな調子で冗談が飛び、中には凱歌をあげる者さえあった。皆浮き浮きした。私は心から皇軍勇士の必勝を祈った。私ばかりではない、皆病苦を忘れてそうだったのだ。
八月十五日より被爆した人らの本音がよくわかる。他の都市空襲などを含め、直接被害を受けた人たちにこそ発生する心理なんやろう。これを単純に好戦的であるなんて、とても思えん。やられまくって我慢しまくって地獄を見せられた挙げ句の降参には、同情という言葉で片付けてええもんかどうか迷うが、そう書くほかない。
私はこっそり病院へ戻った。そして「敗戦だ」と一口いってベッドに腰をおろした。病室は俄然静まりかえった。寂として声なくしばらく沈黙が続いた。敗戦を知り一同啞然としていたのだ。間もなくすすり泣きがきこえだした。爆撃された時敢然立って我武者羅に活躍した者の面影は全くない。意気銷沈全く見る影もない態だ。ひそひそ声がきこえだした。突然誰か発狂したのではないかと思えるほど大きな声で「このまま敗けられるものか」と怒鳴った。それにつづいて矢つぎばやに「今さら敗けるとは卑怯だ」「人をだますにもほどがある」「敗けるより死んだ方がましだ」「何のために今まで辛抱したか」「これでは死んだ者が成仏できるか」いろんな表現で鬱憤が炸裂する。病院は上も下も喧々囂々全く処置なき興奮状態に陥った。日ごろ平和論者であった者も、戦争に厭ききっていた者も、すべて被爆この方俄然豹変して徹底的抗戦論者になっている。そこへ降伏ときたのだからおさまるはずがない。
八月二十二日より正直なところ不謹慎とさえ思える一節やが、医者ならではなんやろう。
爆心の決定、これは至難事中の至難事だ。原子爆弾は地上で爆発したものでない。空中で爆発したのだ。爆心地はどこか。相生橋の上といい、広島郵便局の上だという。島病院といい、商品館といい、護国神社の鳥居の上だという。どれが正しいか爆弾にきかねば正しいことはわからぬ話ではあるが、爆心は鳥居の上だという説が圧倒的に多い。しかし私には鳥居より少し南だという説が正しいように思える。この辺を爆心として被爆者の位置と障害の関係を調査することにした。白血球の減少が患者の被爆した位置にある種の関係があることがわかり、私は新発見をしたように思った。私は爆心を決め、それを根拠として被爆者の位置と白血球の関係を詳しく調べたら面白い成績がでるにきまっていると思い独り悦に入った。私は嬉しくなって眠れない。早く朝がくれば----子供のように嬉しくなって楽しい一夜を送った。
このあと、手元にあった2冊(重松日記・絶後の記録)を一気に再読した。文学的・哲学的とすら感じるこれらとは違って、ヒロシマ日記は、医者独特の視点てのもあろうけど、この御方の前向きで愉快な人柄が表れた文章やなと感じる。とにかく明るく、あまり感傷に浸ったところがない。
天皇を心から崇拝し、信じ、終戦後の進駐軍には「わりとスマートで話せるやつらじゃ」と心を許すこの著者は、「はだしのゲン」では最悪の大人として描かれてるタイプの人やが、しかし、その時代の真実やったんやなと思うほかない。
誰が悪かったなんて、絞れるもんじゃない気がするわ。
核兵器を作ったやつ使ったやつだけは許せんが。
表町界隈で晩飯を食べようかと、クレドへ。地下駐車場へ降りたら、こないだのと同じ緑カングーがおって笑ってしもた。ナンバー覚えてたし間違いない。残念ながら隣はふさがってた。
紀伊国屋では装釘に惹かれて「タルト・タタンの夢」ていう本を購入。あ、やっぱ俺フランスかぶれ? それから自転車の雑誌も立ち読みしまくり。やっぱり頭くらくらじゃ。
クレドを出て、久しぶりに QUIET VILLAGE へと意気込んだら、営業時刻過ぎててボツ。店の外からスパイスの良い香りだけ吸い込んで退却
。

というわけで天満屋そばの CACHE CACHE へ。嫁は栗のクリームスープ、俺はビーフストロガノフを。んー、まあまあかな〜。しゃあないっす、俺「カレー食べたい」頭になってたし。
吉村昭の「星への旅(Amazon)」と「冬の鷹(Amazon)」読了。
前者「星への旅」はフィクションの短編集。えーと、どうしようもなく暗い話ばかりで、体調悪いときに読むもんじゃない。しんどさ倍増やった。人間の死を、これでもかと詳しく、いろんな角度から描く。表現があまりにエグくて、吐き気を催しそうな場面も多々あり。
吉村昭のはほとんどノンフィクション物しか読んだことがなかったから、こんな文も書くんかいな〜、こんなん好きやったんか〜、とショックも大きかった。
もうひとつ「冬の鷹」は、解体新書を著した前野良沢・杉田玄白らを、史実を元に描いた話。あくまで現場の裏方作業に執着し表に出ない良沢と、全体をグイグイ率いて注目を集める玄白。ここまで対照的な人たちとは知らんかった。
吉村昭の「冬の鷹」には、脇役(?)として尊王攘夷論者である高山彦九郎という人物が登場する。日本史がとても苦手な俺は、尊王攘夷なんて聞くと幕末しか浮かばず、時代はその頃なんかと思い込んでた。
しかし、調べるに、解体新書が世に出たのは1774年のこと。倒幕までまだ100年近くある。江戸幕府って、けっこうしつこく長生きしたんやねえ。そして尊王攘夷の思想も、よくもまあしぶとく生き続けたもんじゃ。
吉村昭の本は、これで何冊目やろか、「陸奥爆沈(Amazon)」を読了。
多くの人間がコツコツ造った頑健な鉄の塊も、ひとり「自己抑制の欠けた人間」がおるだけで簡単に壊されてしまうんやな。あ、いや、陸奥の爆発に関しては断定はできんのやが。真相は闇の中。
壊れるといえば組織も同じやね。和を乱す人。
しかし「欠け」のない人間なんて、見たことないなあ 。
吉村昭の「大本営が震えた日(Amazon)」読了。開戦計画の超重要文書を持った人物が密かに搭乗した旅客機「上海号」が12月1日、支那大陸の山岳地帯に墜落したことから始まり、開戦日までの息つまる1週間が描かれる。
不謹慎かもしれんが、正直な話、異様にわくわくしながら読んでしもた。結論を言えば、周知の通り、無事(?)計画は遂行され戦争は始まったわけやが。
偶然やけど、今日11月26日は、ハルノートがアメリカから突きつけられた日。「春の音」なんて駄洒落とは正反対の、真冬の4年間へ突き進むことになったきっかけの日。
しかしまあ、列をなして海を走る連合艦隊の勇姿、肉眼で見てみたいわ。興奮するやろな。もちろん恐ろしい時代には違いないので、タイムマシンで陰からこっそり 。
吉村昭の「赤い人(Amazon)」読了。
極寒の地で、足袋すら履くことを許されん強制労働。風邪ひいてしんどいなんていうレベルじゃないんよなあ、とは思うものの、やっぱり健康なときに読んだ方がよかった。しんどさ倍増。
この療養中、吉村昭の本を、まだいろいろ読んでた。「プリズンの満月(Amazon)」と「漂流記の魅力(Amazon)」という2冊。
前者、サンシャイン60という高層ビルの名前は子供の頃から知ってるけど、実物を見たこともなければ、もちろん訪れたこともない。それほど縁のないビルが、あの「巣鴨プリズン」の跡地に建てられたものやったなんて、当然まったく知らんかった。しかし知ると行ってみたくなるな。死ぬるまでには、もう一度ぐらい東京見物してみたいもんじゃ。
後者は、計らずも世界を一周してしまった江戸時代の日本人たちについて。1793年11月27日、仙台藩は石巻の港を江戸に向かって出た舟が嵐にやられて漂流し、5月初旬に漂着したのがアリューシャン列島。いろいろあってモスクワまで連れて行かれ、大西洋と太平洋を渡って長崎へ着いたのは1804年9月6日。距離も時間も、気が遠くなるほど長い 。
そして今また1冊「夜明けの雷鳴—医師 高松凌雲(Amazon)」てのを読み始めてるところ。読書は苦手なはずなんやが、なぜか吉村昭の本は読んでしまう。この人の文の中に居ると落ち着く。文章に無駄がないから、かな。人によっては無機質すぎると感じるかも。
吉村昭「夜明けの雷鳴—医師 高松凌雲」読了。
幕府から送り出されたパリ滞在中に大政奉還、その幕府が消滅とは凄まじい。フランスで見た貧富関係ない医療体制が、主人公の運命を大きく左右することに。箱館の戦やら、その他維新後の動乱をあれやこれや経て、いろいろなことを成した凌雲、37歳。
なーんにも成してない俺、ぼんやりしたまま今月末で37になるよ
。
ため息をつくと咳が追ってくる。畜生め。
新潮文庫のブドウマークに2種類あるのは気づいてたけど、もう1種は知らんかった。
なんとなく「自転車生活の愉しみ(Amazon)」という本を読んでみた。自転車が、日本ではいかに危険で不自然な位置に置かれてるか、ということを思い知らされる。
本来走るべき車道ではクルマから邪魔くさがられ、歩道では人から危ながられ、日本の自転車は本当に不遇な存在になってしまってる。俺自身、好き勝手に自転車を乗り回してきたから、目からウロコやった。
クルマの免許を取った者なら誰でも、自転車=軽車両と習ったはず。そこまでは俺も覚えてるけど、じゃあ軽車両って何よとなると、その認識は非常に怪しい。まいどウィキペディアで軽車両を調べると、「原動機を有しない車両の総称」とあった。
具体例としては、自転車・リヤカー・屋台・人力車・牛車・馬車など。なるほど、列挙されると、これらが歩道ではなくて車道を通行すべきってことがよくわかる。クルマと同じく左側通行せないかん、てことも。
しかし何故か自転車だけは歩道を通ることが当たり前になってる。が、これ、日本だけで見られる(法的に許可された)現象らしい。欧米では歩道走行厳禁。
吉村昭の「海の祭礼(Amazon)」読了。
舞台は幕末。インディアン(ネイティブアメリカンか)と白人のハーフであるラナルド・マクドナルドは、白人から差別されるアメリカを疎み、インディアンと似た顔の国民がいるという日本へ憧れる。念願がかない、乗り組んだ捕鯨船から日本への漂着が成功し っていうお話やが、なんと言うても印象に残ったのは、その数年後に来航したペリーの狼藉ぶりやった。
200年以上続いてた鎖国政策に対して各国が開国の要請をしてたわけやが、彼らはいちおう日本の国法に則って長崎へ入港してたらしい。もちろん全部拒否されてたけど。
が、新興国アメリカのペリーは「長崎で江戸からの返事を待つ時間がバカバカしい」ってことで、いきなり江戸方面、浦賀へ押し掛けた。これだけでもルール違反で腹立たしいのに、「開国要請は嘆願じゃなくてアメリカの当然の権利」という姿勢。なにこの根拠のない理屈は。
さらに、返事を待ってる間は軍艦を江戸湾の奥までウロウロ侵入させて示威行動をとり「我が国は平和を好むけどさー、開国拒否したら撃つよ。あ、そうそう、こないだメキシコをボコボコに負かした」なんて、まるっきりチンピラやんか。
泣く泣く条約を結ぶと、それを知った各国がウチもウチもと洪水のように申請してくる。断りようがない。堤防決壊し、鎖国は崩れ、このまま侵略されたら大変! と西洋に倣って富国強兵に努めた明治ニッポン。
2002年に出た「朽ちていった命―被曝治療83日間の記録」という本の文庫版があったので、ぱらぱらと立ち読みしてみた。
かなりショッキングな写真もある。表沙汰にされてないだけで、もっと恐ろしい写真もあろう。こういうのが苦手な「一般人」には強制できんが、電力会社やら役所やら政治家やら、およそ原子力エネルギー事業に関連する全ての人間に対しては、怖がって逃げ回ろうとも、夢に出てうなされようとも、一読を義務づけるべきじゃ。
昭和のはじめごろ日本が大陸へ進出した理由のひとつには、増え続ける人口を支えるためのエネルギーを求めて、というものがあるらしい。そういう争いが再び起きぬよう、効率の良い(と言えるかどうか知らんが)原子力エネルギーの確保を肯定するという人々もおる。
覚醒剤を使うと何昼夜も眠らず仕事できるらしい。そんな話を思い出した。
一を聞いて十を知るという言葉があるが、「一を得て十を失う」なんていう言葉も浮かんだ。
吉村昭の「雪の花(Amazon)」読了。19世紀中頃、天然痘治療のため奔走した福井藩の医師、笠原良策のお話。
ナマモノである痘苗を迅速に運ぶため、2メートルを越える積雪もある中、笠原らは京都から福井まで死を賭して持ち帰る。が、帰ったら帰ったで、わずかでも西洋文化に慣れた京都や大坂の人々と違い、悲しいかな田舎の福井、庶民は西洋の治療を恐れて寄り付かず、その間にも天然痘で命を落とす人が続出する。
町医ごときの説得では無理と諦め、藩からのお墨付きをもらおうにも、役人は失脚を恐れ前例のない治療法を認可せず、西洋医学を嫌う漢方医たちは笠原を貶めるのみ。結局、名藩主の松平春嶽が江戸から帰藩してようやく 。
俺が行ったことのある福井と言えば敦賀ぐらい(しかも高速道路)やから、土地勘がない。今あらためて地図を見てびっくりした。京都と福井って隣県で近いと思ってたけど、「京都市から福井市」となると、かなりあるのね。厳寒期に徒歩で、か。
こうの史代の「この世界の片隅に 上」購入。舞台は昭和初期の呉〜広島。顔つき・服装・言動、どれをとっても良い意味で古くさいこの人の漫画は、このぐらいの時代がしっくり来るなー。落ち着く。
昭和9年から始まって、この巻では19年まで。このあと、あの日を描くのか、直前までか、それとも戦後へ飛んで主人公が絵描きか漫画家にでもなってる場面になるのか、とても興味あるところ。連載中の雑誌を読めばわかることなんかもしれんけど。
全国的にも評価の高いらしい、岡山県立図書館へ初めて足を運んでみた。図書館て、明るさも雰囲気も少し薄暗いというイメージがあったけど、ここは落ち着かんほどに明るかった。天井も高い。
ネットや店頭では新刊を見つけれんようになってた「サイクリング・ブルース / 忌野清志郎」を含め、数冊借りてみた。返却は2週間後とのこと。

図書館で本を借りたのって、いったい何年ぶりやろう。記憶にないぐらい遥か昔のような気がする。物欲・所有欲が強すぎて、借りるってことに抵抗があるんよね。返さないかんてのも面倒やし。
でも、ネットで買おうかなと目をつけてた本を数冊リストアップしてって念のため中を見たら、まったく欲しい内容のもんではなかったので、あー図書館て有用なんやなーと思った。図書館通いが当たり前の人からすりゃ、「何を今更」とキョトンとされるやろな。
検索端末用のパソコン、Windows 用キーボードで使いにくかったのはしゃあないとしても、マウスはせめて光学式にしといてくれ〜と思った。ボール式で、しかも経年劣化のせいかマウスパッドがウネウネに波打ってたから往生した。たまたま俺が使った端末だけかもしれんが。
晴れた日は自転車で来るのが最適やね、ここは。近いし。
カワウソと目が合い、ついジャケ買いしてしもた「飛ぶ教室(楽天ブックス)No.10」という児童文学誌は、中身も大当たり。楽しい内容で良かった。

暮しの手帖、クウネル、天然生活、リンカラン、カメラ日和、PHaT PHOTO ……この手の雑誌が好きな人へ。
2枚目以外は可愛いし笑えるし、たまらんわ〜。最後のって、怖がってる耳やったっけ? しかしまーこれ企画して本にしようと思ったってのが、また、なんともすごいわ。
DANCE avec les CHATS、えーと、ドンス アヴェック レ シャ……かな。仏語は好きやったけどかすかな記憶しか残ってない。
こないだ図書館で借りた2冊のうち1冊は「ブラッドタイプ / 松岡圭祐」という、禍々しく馬鹿々々しい血液型性格判断を題材にした話。
結末部分は少し強引な論法かなって気もしたけど、実際にサイトで体験してもらえば、いかに思い込みで成立してるもんかというのをわかってもらえると思う。
嫁がカングーを運転して、県立図書館へ。ここに地下駐車場があるとは知らんかった。ほんま立派な施設やなあ。
借りてた2冊のうち1冊は「銃剣は茄子の支えになって / 小松弘愛」という本。前にも書いたことがあるけど、高校時代の担任の詩集。ネットで見つけて買おうとしたけど、値段に躊躇して。小松先生すみません……。

昭和が終わったあの瞬間、先生が何を感じてたのか、初めて知った。教職員に対して、ああいう指令が出てたのも、もちろん初めて知った。共通一次試験を目前に控えてた当時、学校に起きてた雰囲気の微妙な変化なんて、気づいてもなかった。
天皇陛下。昭和ヒトケタ世代の人々にはそういう思いが強いんかもしれん。テレビの向こうの皇居のガラスの向こうで手を振ってる老人、というイメージしか俺は持ってなかったな。
板尾創路を梅佳代が撮る。
そら強力やわ……。

年末に嫁が腸炎を起こし、連れてった夜中の救急診療の待合室で3時間ぐらい読んでたのが吉村昭の本で、それ以来、なんとなく避けてたんやけど、この連休中には2冊読んだ。やっぱりこの人の文章、好きやわ。

1冊は「磔」という短編集。長崎で殉教者となった 26 人のキリシタンを描いた表題作には、当時の宣教師達が媒介人となって多くの日本人が奴隷として海外へ売り飛ばされてたという内容があり、学校では教わらんかったなと驚かされる。
記憶にあるのは、せいぜい「キリスト教が植民地化の手段であると気づいた為政者が危機を感じて禁止した」ぐらいのもんか。ネットで調べると数十万人が奴隷として売買されたらしい。とんでもない話やん。なぜ学校でそこまで教えんのかね。……それとも寝てたんかな、俺。
赤穂から片上(備前市)あたりは「切支丹に理解のある土地柄」やったらしく、これにも驚かされた。そんな雰囲気、感じたことなかったわ。殉教者の1人、ディエゴ喜斎という人物は岡山の人らしい。検索したところ、近所の教会に像があるみたい。
ずっと前に買うて放置してしもてた「日本の歴史をよみなおす / 網野善彦(楽天ブックス・Amazon)」を、ようよう読み終えた。
自然や神様の領域に触れるということで畏れられてた職業が、日本人と自然との関わり方の変化によって、だんだん賤しいと見られるようになってったらしい。百姓というのは農民だけでなくて、海や山で働く人々をも含んだ単語やったらしい。日本人の識字率も女性の地位も、昔から異様に高かったらしい。
いちいち、なるほどねえと思ってしまう。高校時分にゃ歴史まったく興味なかったのに、最近は少し。決して途切れてるもんやないんよなあ。必ず今も繋がりがある。素朴なことやけど、そういう意味では、地名を変えるって好きになれんな。