ヒエラルキー
忠臣蔵のお話は、吉良から田舎者扱いされた浅野が発端となる。フィクション部分とは言え、江戸時代に「田舎者」という概念があった証拠やろう。
なぜ、そしていつ頃から、「田舎者」が嘲笑されるに至ったんやろか。昔々の都会といえば、朝廷や幕府があり位の高い人が大勢おった場所やろから、そのへんと関係があるんかしら。
高知県の西部、幡多地方の中村市で生まれた俺は、主に高知市で育った。県都の高知市に住んでると、幡多地方の人間が田舎者に見えた。高知を出て本州の岡山に上ってくると、こんどは四国全体が田舎に見えた。岡山は岡山で、岡山市以外が田舎に見える。そして京阪神・首都圏は今でも「憧れの」都会。
誰から教わったわけでもないのに、自分にもしっかり根付いてる「都会の人=あか抜けてる=人として優れている、田舎者=劣ってる=恥ずかしい」という馬鹿馬鹿しい錯覚・精神構造は、どっから生まれたんやろう。我ながら不思議で仕方ない。

